HY 碍子(反対あればこそ)

碍子(がいし)とは、電気を通さない電気絶縁体である。
電気には反対のものだ。しかし、送電のときにはこの電気に反
対するもの(絶縁体)が絶対必要なのである。
 自動車を走らせるには、走らせないブレーキ
が要る。
 水を通すには、水を通さない鉛やビニールの管が要る。

 同じように、自説を通すには、それに反対する人(の論)が
要る。反対者・批判者は敵ではなく、自論を磨くために必要
なものである。
 正を活かすには、反が要る。
      森政弘(東工大名誉教授)
 
(味わい) 名言だ。
 国会でも与党に反対する野党がしっかりしていないと、与
党の政治は正しく行われない。
 人生の生も、死があるから、充実するのである。死を忘れ
た生は浮薄・空過である。
 宗教も同じ。正信には疑謗がある。その疑謗に堪えてこそ、
正信が証明される。
 (法然の『選択集』を論破しようとする明恵の『摧邪輪』が
機縁となって親鸞の『教行信証』の菩提心論になったとい
われる。)
 (念仏停止の承元の法難によってこそ、非僧
非俗・愚禿親鸞をいう信心のすわりができたのである。)
 (善鸞義絶という悲劇あってこそ、「弥陀の本願信ずべし」
との、親鸞の信火は燃え上がり、
正像末和讃、尊号真像銘文などの著述と昇華したのである。)

(備考) 
  森政弘
 「効率や能率ばかりを追求していると発想が行き詰まる。
ムダや遊びにも価値を見出すべきだ」(森政弘、もり まさひ
ろ、工学者、東京工業大学名誉教授、自動制御とロボット
工学が専門、株式会社自在研究所社長、愛知県出身、紫
綬褒章、勲三等旭日中綬章、日本ロボット工学学会名誉会長)

(出典 森政弘 放送講話で)
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