HT 苦悩する魂こそ
大事なことは、親鸞聖人は苦悩の群萌が救済されるんだとおっしゃる。我々は早く苦悩をなくして楽になってたかりたいと思いますけれども、これがまさしく反対でございましょう。
苦悩なきものに生まれるということはない。我々が何故救われないかというと、苦悩の群萌でなくなっておるとうところに重大な問題があるわけです。みなマイホームの幸福の中に埋没しておりまして、苦悩する魂を失ってしまった。
そういうところに問題があるわけでございまして、一番先に言いました*高校二年生も、七十一
歳になったこの私にも、苦悩する魂は休むひまなく脈動しておるわけでございまして、そのところへ帰れ、ということを聖人が教えて下さるのであろうかと思います。
和田 稠
*高校二年生
某女の子、高校二年生。(あるスポーツを仕込む。東京近郊から東京へ送迎。→成果が上がり、某高校から誘い → 入学 → 高校二年で登校拒否)
「僕みたいなもの人間に生まれたのがマチガイ」
「生まれない方がよかった」
「誰もこの僕の苦しみ、わかってもらえない」
「死ぬこともできぬ。なお辛い」
「一体、人生とは何か」
「なぜ人間に生まれたのか」
「人生の意義は何だ」
・・・大人は若いときの悩みを忘れ、目先の
ことに忙しい。
(出典 和田稠 『このことひとつ』の結句
昭和62年11月「人生講座」名古屋別院)
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