HT 騙しえない苦悩
某寺で法話をしたあと、一枚のハガキがきた。こう書いてある。
「文学は人を騙さない。音楽も人を騙さない。芸術も人を騙さない。スポーツも人を騙さない。なのに一番人を騙してはいけない宗教が、一番人を騙しているのではないか。しかも方便などという、うまい表現を使って、〈嘘ということばまで〉うまく誤魔化しているんじゃないのか。」
発信者は、かなり真宗の話を聞いている人のようである。
返信にこう書いた。
「次のご和讃で、嘘だと思う個所に線を引いて 消してみてください。消せないところが残り ませんか?
如来の作願をたづぬれば
苦悩の有情をすてずして
回向を首としたまひて
大悲心をば成就せり」
(内心期待したのは、「如来」「作願」「回向」「大悲心」などは、「嘘」として消すことができても「苦悩の有情」(苦悩する私)というところは消せない・否定できないのではないか、ということである。
本来、仏教は「苦」から始まっている。(苦・集・滅・道の四諦がそれ。)もし人間に苦悩(四苦八苦)がなければ、滅(涅槃)の世界も、仏のさとりも・・・宗教も必要ないのである。
こういう、どうにもできない苦悩という現実があればこそ、それを救わんという如来の作願が出でましましたのである。
我が身の「苦悩」を実感してから、如来・本願・念仏が「嘘」かどうか、吟味してほしい。
・・・こういう意味で逆問したのである。)
しばらくして返事がきた。
「私ごときものには分かりません」と。
逃げたのか? いやおそらく、気付いてもらえたのであろうと思う。「苦悩は騙し得ないのである」と。
(出典 聞法ノート)
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