HT 法蔵菩薩とは誰か

 弥陀の本願にお遇いするということは、南無阿弥陀仏の名号にお遇いするということです。…私に喚びかけてくださっている阿弥陀さまの
言葉を聞くことが、阿弥陀さまにお遇いすることなのです。だから名号は浄土真宗の根本であり、名号がなかったら浄土真宗はありません。
名号以外に阿弥陀さまの存在はないのです。「仏の名号をもって経の体とするなり」…この名号の中に阿弥陀さまがいらっしゃるということが、実に『仏説無量寿経』の根本思想です。
 浄土真宗は、私たちが間違いなく助かるということの証明を、南無阿弥陀仏の名号に持っている。…蓮如上人… なぜなら、法蔵菩薩は、衆生の往生がもし心配だったら自分は阿弥陀にならないという誓願をすでに成就され、正覚をとられているからです。十方衆生は間違いなく救われると決着された阿弥陀さまがいらっしゃるのです。
 …阿弥陀さまは遠い極楽浄土におられ、私はこちらの娑婆にいるという具合に離れてしまうと、心配です。しかし『無量寿経』は阿弥陀さまから始まらず、法蔵菩薩が阿弥陀さまに成る以前の法蔵菩薩の誓願から始まっています。法蔵菩薩がどうして誓願を建てられたかというと、それはすでに生死に迷っているわれわれ衆生がいたからです。…一切群生海…草木国土…悉皆成仏…帰命尽十方無碍光如来…人間以外の衆生たちも、やはり彼らなりの仕方で如来さまの名号の招喚を聞いているに違いないと思います。
 弥陀の本願招喚の声は、十方世界に響きわたる生命そのものの喚び声です。…この大生命の声を聞かずに「生きる」ということはありません。…阿弥陀さまを信じるということは、大きな宇宙的生命に感応することでありますから、人間の自己意識よりもはるかに深い人間の態度です。私たちは意識よりも深いところで阿弥陀さまの喚び声を信じるのです。…ユング・集合的無意識… われわれの心は底抜けに深いのです。
 法蔵菩薩は、そういう底なき深みの次元に現在していらっしゃるのです。十劫の昔に正覚をとった法蔵菩薩は、過去の人だと思ってしまいがちですが、そうではなく、われわれの現在は時間を超えて底なく深いのです。我々は自我より深い心の深みにおいて、永遠の今とつながっているのです。法蔵菩薩は、今ここで悩んでいる私の心の深層に成仏されたわけです。そうすると、法蔵菩薩が誓願を建てられた十劫の昔に、この私はすでに存在していたことになります。
…法蔵菩薩が成仏された時に、「自己」としての私はすでに何かを求めていたのです。…だから弥陀の本願というものは、衆生のどろどろした煩悩の願いというものをすべて聞き取って、その内に含んでいるような願いです。そういう衆生のさまざまな願いの一番深みに、生命そのものの願いを発見されたのが法蔵菩薩です。そしてその願いを満たすにはどうすればよいかということに、とうとう決着をつけられたのです。それは、衆生に名号を称えさせて救うという方法です。名号の喚び声を聞いたものはみな救われると決着がついたから、法蔵菩薩は阿弥陀さまになられたのです。
 阿弥陀さまに成った法蔵菩薩は、衆生に「お前の病気の根源は取り去ったから心配するな。お前の成仏は間違いない」と喚びかけておられます。この喚びかけが南無阿弥陀仏の名号です。これに対して、衆生が「はい」と返事をすることが信心というのです。」

(出典 大峯 顕『永遠と今』「大乗仏教の真髄」
  208~212 跋文)
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