HT 信なくしては
『真宗を学ぶ=愚にかえりて=』 浅井成海
第二章 念仏のこころ
一 真実に照らされ 真実に生かされて
1 念仏のみぞまこと
『歎異抄』の後序に述べられる「よろづのこと、みなもてそらごとたはごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておほします」の 文は、親鸞聖人のみ教えのこころを実によくあらわしている言葉である。多くの人々に親しまれている。しかしこの深い言葉をくみ取り、聖人の真 意をうけることは、容易なことではない。
現代において問われることの一つに「念仏のみぞまこと」ということについて「何故に念仏がまことなのですか、それを証明して下さい」と質問 をうけることがある。論証し、日で見て確しかめて、はじめて納得するというのが現代人の思考方法であろう。仏の実在について、地獄の存在につ いて、それぞれを論理的に納得出来るように説明してほしいという。
「念仏のみぞまこと」という背景にほ、「いづれの行もおよびがたき身なれば」という聖人ご自身の歩みがあることが想われる。『歎異抄』の第 二条でほ、関東より命がけで「往生浄土の道」をたずねきた人々に「念仏より外に往生の道はない」と言い切られる。しかもその道は、恩師法然上 人の説かれた道であり、騙されて地獄に堕ちても後悔しないという。
なぜならどの行を修めても救われず、もともと地獄より外に行く道のない身であ るからだと告白されている。「念仏ほ真実ですか、納得したら 念仏を信じ、念仏を称えましょう」という余裕はない。「念仏なくしてはいきられないのです」という世界がある。
もともと比叡山での修行は、「生死出づべき道」(恵信尼文書)を求めることである。その発菩提心、出家の出発点が、いろいろの動機にょり、 いろいろな人が集って、学び修行していたにしても、比叡山で問われていることは、「生死出づべき道」であった。そこにもう世間で求めている「 真実」とは、根本的な相違があることが 知られるのである。
2 出世の真実
釈尊は、世間の道に「真実」は無いとみきわめて行かれたのである。釈尊の出家 は、変化きわまりない世間を出でて、出世間においてこそ「真 実」ありとみきわめ て行く道であった。
何をもって「真実」とするか。変化きわまりないものは、真実ではない。虚偽性 を寸分でも含むものは、真実ではない。では、永遠に変わらず 、一切の虚偽を含まぬ真実というものがこの世の中にあるのであろうか。その答えを求めつづけるのが、仏教の課題であり、その真実を真に身に得 る道が「仏道」である。
我々は、世俗にあって「仏教はなぜ真理なのですか」、「念仏ほなぜまことなのですか」と問う。そして自分に納得したらそれを受け入れてもよ いなどと考えている。しかし釈尊や聖人ほ、我々が身を置いている世間、そのものの姿をまず見きわめよ、人間の本当の姿を知れ、幻想をいだくな と語りかけるのである。
私と私をとりまく世界が、いかに不実であり、虚偽にみちたものであるかをみき わめ、不実、虚偽にみちた世界より逃避するのでほなく、むしろいかに不実、虚偽 にみちた世界を生きぬくべきであるかということを教えて下さるのである。一般に 仏教は、逃避の宗教のように考えられているが、それほ大変な誤解であって、むし ろ逃避するな、逃げても事態はよくならない、現実より逃げずに、現実に積極的に 立ち向えという考え方である。
長い人生では、いろいろな体験をする。思いもよらぬ事態に直面して、当惑した り号泣したりする。その不慮の出来事に直面しながら、必死に 過去の経験を繋ぎあわせ、よみがえらせ、なんとかその事態を乗り超えようと試みる。しかし我々は、全く予想もしない出来事に直面する。しかも 、そのような苦しみに一度ならず二度、三度と直面しながら生きていくのである。過去の経験や、知識が全く役だたず、集積したものが、一瞬にし てくずれてしまうことにもであっていかねばならない。その事態の中で、なお生きぬいていく道を教えるのが仏教である。そのような生きる意味さ えも全く見失なってしまうような人生の事態を生老病死など人生の四苦八苦であらわし、その事実に日ざめしめるものこそ、真実の教法であること をあきらかにするのである。この人生の変化と虚偽を照らし、知らしめるものが、縁起の理法をはじめとする諸々の教えなのである。そしてこの教 法を身にうるためには、世間にあって、身にうるのではなく、生活様式全てを捨て切って生きよというのが、従来の仏教の考え方である。
なぜ真理なのですかという問いに対して、仏教は、私と私をとりまく人間生活のすべてにある虚偽性を抉(えぐ)り出してみせ、抉り出してみせる 教法の真実性に肯なずかせるのである。それは、不実に対して、真実が対応するのではなく、不実のままのありようを真実たらしめる教法に、気づ かされるのである。問いをおこしている私の不実性をまず問うのである。
3 真実功徳相
聖人は、出家の形において真実を見出されたのではない、先述のように不実・虚偽の中にあってこそ、不実・虚偽を真実ならしめる道がある。在 家の中にあってこそ真理を身にうけることが出来ると説かれたのである。真理そのものが動的に働き、真実ならしめるのである。それを弥陀の誓願 の真(まこと)として説かれるのである。深い深い無明の闇は、如来の真実によって知らされるのである。真理の教法は、単に静的な理法ではなく、 つねに不実と虚偽を知らしめ、真実ならしめようという働きをもつのである。それを全うしてこそ、はじめて、真実と言いうるのである。
『論註』上「真実功徳相」の釈では、真実と不真実についてあきらかにしている。
不真実とは、有漏の心より生じ、法性に順じないから人天の諸善根は、因も果も顛倒し、虚偽である。真実の相は、菩薩智慧より生じ、仏事を荘厳 する。しかも法性に依るから清浄の相を有し、顛倒せず、虚偽せずと述べるのである。聖人は、「真実功徳相」の文を「行巻」に引き、再び不実功 徳相の文のみを「化巻」の三経隠語顕釈に引くのである。「真実功徳相」の文が、「行巻」に引かれるということは、我々の称える念仏が、如来の 願心にもとづき、衆生救済のために動的に我々に働きかけるからである。一瞬も、止まる行ではなく、つねに動きつづけ、ほたらきつづける行であ る。しかも法性に依るが故に、顛倒せず、虚偽なき行なのである。
聖人にとって真実とは、弥陀の本願である念仏であり、信心であった。そして、それは法性真如の躍動する姿そのものであった。私と私をとりま く不実と虚偽をどこまでも照らしあせらか忙して、真実ならしめるものであった。それを聖人の九十年の歩みの中で、あきらかにしていかれた。
4 信なくしては生きられない
生涯『歎異抄』を読みつづけた歌人の吉野秀雄氏ほ、実に苦難にみちた人生の歩みをかさねている。四十三歳の時、四人の子供を残して妻が病死 する。その翌年、つねに吉野氏を見護りつづけた母を送る。そして、晩年は、五年間ほど、リューマチ、腎臓、肺結核などの病いのために全く動け なくなる。病弱であった長男が、就職し、これから一家に幸福が訪れるだろうと考えていた矢先に恋愛問題につまづき、錯乱状態になって病院に収 容されてしまう。その苦悩の人生の中にあって、再婚した妻や多くの人々の支えの中で、実に尤大な歌をよみ歌論を書き、随筆をあらわし優れた業 績を残している。しかも、母の影響をうけて、つねに聖人の生き方を慕い、『歎異抄』をよみつづけたのである。吉野氏ほ次のように語り、次のよ うに詠っている。
いったい〈弥陀の誓願不思議〉とほ何か。「そんなものはあるはずがない」という人を説き伏せる能力も必要もわたしにはない。
しかしそれを信じなくてほ生きていられぬ立場にあるがゆえに、わたしはこれを信じまいとしても能はぬのである。そしてかの胸
を張る不信の人もわたしのこのささやかな信をあざ笑うことはきぬであろう。懊悩(おうのう)のうちにこの一事を会得して後、『歎
異抄』の句々はいっそう親しく、わたしの心底に落ち着くようになった。
えにしありて この夜の寒き はらわたに 聖(ひじり)がことば しみとほりつつ
若きより繙(ひもと)きなれし書(ふみ)なれど 今宵のわれほ おしいただきぬ
歎異抄 読みゆくなべに 上人の 鏡の御影(みえい) おもかげにたつ
吉野秀雄氏『やわらかな心』より抄出
そのすさまじい生涯は、かぎりない精進をかさねて、優れた歌を生み出すことにあった。しかもその歌人の生涯をゆり動かしつづけたものは、「 念仏のまことを証明して下さい。納得したら信じましょう」という世界ではない。吉野氏が語るように「それを信じなくてほ生きていられぬ立場に ある」という生きざまが、全てを語っているのである。
聖人が、「いずれの行もおよびがたき身なれば」と告白される心と共通する場に あることが知らされる。次々と生じてくる人生の種々の問題の 中に変化と虚偽の姿をよみとり、実に素晴しい歌をよみつづけていく強く積極的な歩みに「念仏のみぞまこと」に生きぬく本当の姿を知らされるの である。
(出典 『真宗を学ぶ=愚にかえりて=』 浅井成海 (永田文昌堂))
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