HT 生きる意味が明らかに
【大乗】フォーカス 仏教ライフ
生きる意味が明らかに
西原祐治
現代社会の閉塞感の根底に「生きる意味の喪失」があるといわれている。生きる意味の喪失とは「むなしい」ということだろう。世間では、むなしさの体験は無意味な出来事だろうが、仏教の視点から見ると、無常と同様に、真実なものからのはたらきかけであり、より確かな存在に出遇う機縁ともなる。
天親菩薩は「仏の本願力を観ずるに、遇ひて空しく過ぐるものなし」(『浄土論』と仰せになっている。つまり、現代ほど浄土真宗が求められている時代はないとも言える。
ところで、私の世界は私の認識によってたもたれている。だから、子どもの時の私の世界と今の私の世界では、異質の世界を生きている。仏の世界は、お覚りの体験によって開かれていく世界。その覚りの世界は、経典の言葉として私たちの上に届けられている。
§ヘレン・ケラI
言葉によって世界が開かれていくということがある。三重苦の奇跡の人として知られるヘレン・ケラー(1880~1968)は、47歳の時に『わたしの宗教』を出版している。その中に興味深い記述がある。
ヘレン・ケラーは、1歳半の時に高熱により、聴力と視力を失い、話すこともできなくなった。7歳の時、アン・サリバンによって、指文字による教育を受ける。もっとも有名な場面は、サリバンが、コップを持ったヘレンの手を、ほとばしる水の下に手を差し出させ、片方の手に「水」と文字をつづる。ヘレンは、驚きと共に物には名前があることを知る。その体験を「精神の目覚め」と記している。名前を通して、外界とつながったのだ。
ある朝、サリバンがヘレンに「私はヘレンを愛します」と指話(しわ)した。愛って何。抽象的概念にも名前があることを知らないヘレンは困惑する。サリバンは「愛とは、今、太陽が出る前まで、空にあった雲のようなものですよ。あなたは手で雲に触れることはできないが、雲から降り注ぐ雨を通して、花や渇いた土地が暑い日のあとで、どんなに雨を喜ぶかを知っています。あなたは愛には触れることはできないが、人の優しさを感ずることはできます。愛がなければあなたは幸福であることもできず、その人と遊ぶことも望まないでしょう」と語った。ヘレンは愛を理解した。その体験を「美しい真理」に目覚めたと記している。「私は他の人との間に眼に見えぬ糸が結ばれていることを感じた」とある。
そして「神」だ。ス工-デンボルグの『天界と地獄』に出会い神を理解する。その出会いを「人はなぜ正しく生きなければならないのか、正しく生きる意味を知った」とある。言葉によって新しい世界が開かれていくということだ。
§「南無阿弥陀仏」として至り届 く
阿弥陀仏のご本願を説いた『無量寿経』に、釈尊が阿難に「姿勢を正して合掌し阿弥陀仏を礼拝しなさい」と告げる場面がある。阿難尊者は、大地に伏して阿弥陀仏を「拝ませてください」と念じる。すると阿難尊者のうえに、光り輝く世界が開かれていったと説かれている。阿弥陀仏によって、世界が新しく開かれていったのだ。それは新しく世界が意味づけられていったということでもある。
生きる意味が明らかになる。それは仏の本願力によって、いま生きている人生が、むなしく終わっていく境涯ではなく、煩悩にまみれた人生であっても、仏になっていく命であると肯定されていくことだ。その阿弥陀仏の願いとはたらきは、「南無阿弥陀仏」の名号(みょうごう)として私の上に至り届いている。
その名号のおいわれを「伝わる」ように伝えていくことは、世界中の人がむなしい人生から実り豊かな人生へと開かれていくことでもある。
(出典 『大乗』869号 2022-10)
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