HT「死にたくない」から「死なないいのち」へ
☆死を意識・自覚しない生は本当は生の名に値しない。死を
自覚したときに初めて生が存在するのである。
☆健康な時に知っている自分の死は対象的死でああって、
驚きも悲しみもないが、
癌告知されて知った自分の死は主体的死でああって、驚き、
悲しみ、不安に満ち、もだえ苦しむ。
☆そのとき、「死なないいのち」を求める。
☆「死なないいのち」・不生不滅の世界に包まれている(背景)
に気づくとき、生死の迷いを知り、死を受容できる。ちょうど、白
チョーク(生死の苦)は黒板(不生不滅・背景)に書いたとき初めて
「白」と分かるようなもの。白板
に書いたのでは分からない。
☆だから幼少期から宗教教育・デスエデュケーションが必要。
欧米では行っているが、日本では死をタブー視している。
☆「どんな健康な人も全員臨死患者である」(村井良之=産業
医大内科教授)のに。
☆「生」のみしか見ていない・闇雲な延命(生の論理)は、人間
のエゴ(自我)であり幻想・死の恐怖(被害妄想)を生む。
この自我を滅却し、無我(無心)・宇宙のいのちに至るためには
「助死婦」(「助産婦」ならざる)(キリスト教 柏木哲夫)が必要。
☆死んでいけるように生きていくのが本当の
人間の生き方です。(死を忘れた生き方ではなく)生死を本当の
自己とすることです。
(出典 古川泰龍 『死は救えるか』)
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