HT 事実と価値

病気になるということは、確かに不自由であります。しかし、不幸だ
と決めてかかってよいのでしょうか。病気は人生の事実であります。
それは因縁によります。幸不幸は人生の価値の問題であります。
人生の事実をどう受けとるかということは価値の問題です。それは
私の事実を見る目によります。どういう目で見るかによります。
 事実と価値とを混同してはなりません。

(出典 松扉哲雄『人間成就』99号)
【キーワード】病気 幸不幸 人生の事実
  因縁 人生の価値  
(参考)
災難をよける法 たしか越後の良寛さんだったと思います。ある人
から「災難をまぬがれる妙法如何(いかん)?」ということを尋ねら
れたときです。そのとき、彼は、「病気になった時には、病気になっ
た方がよろしく、死ぬ時には、死んだ方がよろしく候。これ災難を免
れる、妙法にて候」と、答えたということですが、たしかに良寛さんの
いうごとく、災難を免れる唯一の妙法は、災難を怖(おそ)れて、それ
をいたずらに回避することではなく、あくまでその災難にぶつかって、
これにうち克ってゆくことです。病気に罹(かか)った時などでも、む
やみに早く全快したいとあせらずに、病気を善智識とうけとり、六尺
の病床を人生修行の道場と考え、病気と和解し、病気に安住してし
まうことです。あのゲーテの『ファウスト』におけるメフィストの、「苦し
めることによりて、かえって我れを助け、幸福にする天使となった」と
いうがごとく、病気をいたずらに自分を苦しめる悪魔と考えずに、天
使と思って、病気と一つになることです。つまり、病気の三昧(さんま
い)に入ることです。そうすればかえって病気は癒(なお)るのです。
いや快くならないまでも、病気に安住することができるのです。「病気
になった方がよろしく候」というのは、たしかにそれです。病気という
災難を逃(のが)れる妙法は、まさしく病気になりきってしまうことです。
病に負けぬことです。 (あるネットより)

【参考】 良寛の言葉は、地震見舞いの返事
☆「うちつけにしなばしなずてな
  がらえて かかるうきめを見
  るがわびしさ 」(地震見舞いに返事)
 『災難に逢う時節には、災難に
 逢うがよく候。死ぬ時節には、
 死ぬがよく候。是ハこれ災難を
 のがるる妙法にて候』(良寛)


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良寛が山田杜皐へ宛てた手紙

災難に逢う時節には災難に逢うがよく候。
死ぬる時節には死ぬがよく候。
これはこれ災難をのがるる妙法にて候。
<原文><解釈>災難に逢ったら、それから逃げ出そうとせずに、
災難に直面するがいい。
死ぬ時がきたら、ジタバタせずに死ぬ覚悟をするがいい。これこそ
災難をのがれる妙法なのだ。
<出典>江戸、良寛(りょうかん)(1758―1831)
の俳人、山田杜皋(とこう)にあてた手紙。『良寛全集』出典解説

〇災難にあう時節には
 良寛は、当時のエセ文化人などからは、馬鹿にされたが、その並
はずれた境涯の深さゆえに、現代でも理解できず、なお良寛を馬鹿
にする人がいる。たとえば次の手紙に関連する。これは、良寛が文
政十一年三条の大地震の際に、与板の山田杜皐あて書いた手紙
である。
 「地震は信に大変に候。野僧草庵は何事なく、親類中、死人
もなく、めでたく存じ候。
うちつけにしなばしなずてながらえて かかるうきめを見るがわ
びしさ  しかし災難に逢う時節には、災難に逢うがよく候。死ぬ
時節には死ぬがよく候。これはこれ災難をのがるる妙法にて候。
かしこ」



<解説> 良寛の住んでいた地方に大きな地震があったらしい。家
がつぶれ、何人かの死者もでた。安否を気遣う便りがあったのであ
ろう。
それに対する良寛の返事には良寛らしい思いやりと人生観があふ
れている。 
 良寛は「地震はまことに大変に候。野僧(自分のこと)、草庵は何
事もなく、親類中死人もなく、めでたく存じ候」と簡潔に状況報告をし、
こうした災難に逢った人もいるのに自分が生きながらえ、
「かかる憂き目を見るがわびしい」と嘆く。
いかにも良寛らしい思いやりを述べているのだが、
この後に上の見出し文が続く。
 いかにも禅僧らしい考え方だし、仏教の基本的な人生への対処の
姿勢なのだが、実は、誤解を招きやすい。
災難に逢ったら逢ったで、死ぬときがきたらそれなりにジタバタする
な、あきらめて何もするな、流れに任せろ、
というのは無気力きわまる。
事態の改善をはかろうという前向きの努力もない、投げやりの生き
方である。
 良寛のように終日、子どもと鞠(まり)をついて遊んでいた人間なら
それでもよかろうが、
忙しく生きている現代のわれわれには肯(うべな)いがたい、
という反論が聞こえてきそうな気がする。 
似たような思想と表現だが、現代の禅僧で「食えなんだら食うな」と
言った方がいる。
これも現実に誤解を招いたのであって、ある人はこれは差別発言
だと言った。
金があって食える者は食え、貧乏な者は食わずに死ね、とは何ご
とであるか。
 かつて「貧乏人は麦を食え」と言った総理大臣がいたが、万人が
望むなら米を食べられるようにするのが政治ではないか。
食えなかったら食うな、とはそれに比すべき暴言であって、食える
人と、食えない人の存在を認める差別的な思想である。
 少なくとも、人を救うべき僧侶の口からでる言葉ではない、という
のである。 
 こうした受け取り方には根本的な誤解がある。
災難に逢うときには災難に逢え、死ぬときには死ね、食えなかった
ら食うな、などと説くのは、
仏教で重視する「今を最大限に生きる」ことを説くものである。
「過去を追うな。未来を願うな。過去はすでに捨てられた。未来は
いまだ来たらず」
(『中部経典(ちゅうぶきょうてん)』)というのと同じことである。災
難に逢い、死に面している「今」を生きることの中には過去が読み
込まれ、未来への対処が織り込まれているのであって、災難を避け、
乗り越える努力を精いっぱいしてきたことが前提にある。
 病気になったら医者にかかり、養生し、生きるための手だてを充
分につくさなければならない。食えるための方策と努力を最大限に
考えるのは当然のことなのである。 
 そのうえで、「今」の現実の問題として、死や災難が私のうえに
襲ってきている。
これは良い悪いの問題ではない。いやおうなしの現実のことがら
である。
このときに「ああしておけばよかった」と
過去を振り返って愚痴を言ってもしかたがないし、「こうなってくれ
ないかな」といたずらに未来を夢みても無益であろう。
この現実、この「今」を自分が生き抜かなければならないのだし、
その覚悟をみずからにせよ、と言っているのである。
 施設とか、政策とか、政治とか、そうした社会的な問題として論じ
ているのではない。苦しい状況におかれた「私」がどのような心構
えで進んでいったらいいのか、という生き方論なのである。
 そのためには、自分のおかれた現状を「あるがままに」見、その
事実を一度は受け取り、ひらき直り、そのうえでさらなる努力を続
けよ。
ここからかえって前向きの積極的な生き方が展開していく、という
のである。
(奈良康明)仏教名言辞典 東京書籍

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良寛が山田杜皐へ宛てた手紙

災難に逢う時節には災難に逢うがよく候。
死ぬる時節には死ぬがよく候。
これはこれ災難をのがるる妙法にて候。
<原文><解釈>災難に逢ったら、それから逃げ出そうとせずに、
災難に直面するがいい。
死ぬ時がきたら、ジタバタせずに死ぬ覚悟をするがいい。これこそ
災難をのがれる妙法なのだ。
<出典>江戸、良寛(りょうかん)(1758―1831)
の俳人、山田杜皋(とこう)にあてた手紙。『良寛全集』出典解説
<解説> 良寛の住んでいた地方に大きな地震があったらしい。
家がつぶれ、何人かの死者もでた。安否を気遣う便りがあったの
であろう。
それに対する良寛の返事には良寛らしい思いやりと人生観があ
ふれている。 
 良寛は「地震はまことに大変に候。野僧(自分のこと)、草庵は
何事もなく、親類中死人もなく、めでたく存じ候」と簡潔に状況報
告をし、こうした災難に逢った人もいるのに自分が生きながらえ、
「かかる憂き目を見るがわびしい」と嘆く。
いかにも良寛らしい思いやりを述べているのだが、
この後に上の見出し文が続く。
 いかにも禅僧らしい考え方だし、仏教の基本的な人生への対
処の姿勢なのだが、実は、誤解を招きやすい。
災難に逢ったら逢ったで、死ぬときがきたらそれなりにジタバタ
するな、あきらめて何もするな、流れに任せろ、
というのは無気力きわまる。
事態の改善をはかろうという前向きの努力もない、投げやりの
生き方である。
 良寛のように終日、子どもと鞠(まり)をついて遊んでいた人間
ならそれでもよかろうが、
忙しく生きている現代のわれわれには肯(うべな)いがたい、
という反論が聞こえてきそうな気がする。 
似たような思想と表現だが、現代の禅僧で「食えなんだら食う
な」と言った方がいる。
これも現実に誤解を招いたのであって、ある人はこれは差別
発言だと言った。
金があって食える者は食え、貧乏な者は食わずに死ね、とは
何ごとであるか。
 かつて「貧乏人は麦を食え」と言った総理大臣がいたが、万
人が望むなら米を食べられるようにするのが政治ではないか。
食えなかったら食うな、とはそれに比すべき暴言であって、食
える人と、食えない人の存在を認める差別的な思想である。
 少なくとも、人を救うべき僧侶の口からでる言葉ではない、
というのである。 
 こうした受け取り方には根本的な誤解がある。
災難に逢うときには災難に逢え、死ぬときには死ね、食えな
かったら食うな、などと説くのは、
仏教で重視する「今を最大限に生きる」ことを説くものである。
「過去を追うな。未来を願うな。過去はすでに捨てられた。未
来はいまだ来たらず」
(『中部経典(ちゅうぶきょうてん)』)というのと同じことである。
災難に逢い、死に面している「今」を生きることの中には過去
が読み込まれ、未来への対処が織り込まれているのであって、
災難を避け、乗り越える努力を精いっぱいしてきたことが前提
にある。
 病気になったら医者にかかり、養生し、生きるための手だて
を充分につくさなければならない。食えるための方策と努力を
最大限に考えるのは当然のことなのである。 
 そのうえで、「今」の現実の問題として、死や災難が私のうえ
に襲ってきている。
これは良い悪いの問題ではない。いやおうなしの現実のことが
らである。
このときに「ああしておけばよかった」と
過去を振り返って愚痴を言ってもしかたがないし、「こうなって
くれないかな」といたずらに未来を夢みても無益であろう。
この現実、この「今」を自分が生き抜かなければならないのだし、
その覚悟をみずからにせよ、と言っているのである。
 施設とか、政策とか、政治とか、そうした社会的な問題として
論じているのではない。苦しい状況におかれた「私」がどのよう
な心構えで進んでいったらいいのか、という生き方論なのである。
 そのためには、自分のおかれた現状を「あるがままに」見、そ
の事実を一度は受け取り、ひらき直り、そのうえでさらなる努力
を続けよ。
ここからかえって前向きの積極的な生き方が展開していく、とい
うのである。
(奈良康明)仏教名言辞典 東京書籍