HG ただのただ

ただのただでも ただならず
聞かねばただは もらわれぬ
聞けば聞くほど ただのただ
はいの返事も あなたから
 因幡の源左
(出典柳宗悦 「妙好人―因幡の源左」(衣笠一省編) 百華苑, 1960、改訂増補1989)
【キーワード】 唯 聴聞 絶対の救済

注意
 「ただ」の意味に種々がある。

三省堂 大辞林
ただ [1] 【只▼・徒▽】
➊①代金が不要なこと。無料。無償。ロハ。 《只》「ー酒」「ただより高い物はない」
【唯▽・只▼】
❷① 他の物事は問題とせず,それだけに限定するさま。「 -君だけが頼りだ」 「今は-無事を祈るしかない」 「 -勉強ばかりしている」


源左さんの「ただ」の原義は上記辞書の解説の
➊ に近い。如来の救済は、まったく如来の慈悲、回向=無条件の救いであり、衆生に何らの見返り・条件をつけられないこと、➊ の「無償」に近い。
「お差し支えなし。ご催促なし」三河 おその
の言葉に相通じる。

 下記の参照仏語はほとんど❷ の意味。
【参照仏語】
《正信偈》
「唯説弥陀本願海」「唯能常称如来号」
「唯明浄土可通入」「唯可信斯高僧説」
《歎異抄》
「弥陀の本願には、老少・善悪のひとをえらばれず、ただ信心を要とすとしるべし。」
「親鸞におきては、ただ念仏して、弥陀にたすけられまゐらすべ しと、よきひと(法然)の仰せをかぶりて、信ずるほかに別の子細なきなり。」
「よろづのことにつけて、往生にはかしこきおもひを具せずして、ただほれぼ れと弥陀の御恩の深重なること、つねはおもひいだしまゐらすべし。」
「煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろづのことみなもてそらごとたわごとまことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておはします。」
《教行信証》
「かならず最勝の直道に帰して、もつぱらこの行に奉へ、ただこの信を崇めよ。」
「これによりて、真宗の詮を鈔し、浄土の要を〓ふ。ただ仏恩の深きことを念うて、人倫の嘲りを恥ぢず。」

【因幡の源左】
※因幡の源左(いなばのげんざ、1842年(天保13年)4月18日 - 1930年(昭和5年)2月20日)は、浄土真宗の教えを日常に体現した妙好人の一人とされ、鳥取県(因幡国)青谷町(現在は鳥取市に編入)に在住した農民である。幼名は源左衛門、明治の苗字許可令以降は足利源左(本籍名は足利喜三郎)と名乗った。

略歴
江戸時代後期の天保に生まれ、18歳の頃、父親と死別する際に、遺言で「おらが死んだら、親様をたのめ」といわれ、寺に参り法話を聴聞し始める。ある日、山へ牛とともに草刈に出かけ、五束の草を刈り取って、四束を牛に担がせて一束を自分で担いで帰ろうとしていたが、重くなってその一束も牛に担がせたとき、阿弥陀仏にすべてを任せると良いのだということに気づき、信心をいただいたという。
 その人生は父親が亡くなった後も苦難が多く、息子二人が精神的に弱かったり、火災にあったりしたが、それらを苦にすることもなく、飄々とした人生を歩んだ。源左が著名になったのは、強盗が集金した金を盗ろうとした時、延々と諭しながら歩き、ついに盗れなかったことを警察で話した、その話題が新聞に載ったことからであった。後年納税の推進や祖父母の養育などで緑綬褒章を受けている。その言行は、浄土真宗の法味に富み、のちに聞書が多数出版されていった。
 ある日、突然の雨にあって帰り、住職に「えらいめにあったのお」と言われて、「鼻が下に向いて付いているでありがたい」と言ったと言う。
彼の口癖は「ようこそようこそ さてもさても」というものであったという。その意味は、この私をたすけるとよくぞ誓ってくださった、さてもありがたい、というほどのもの。手次の寺は、鳥取県青谷町の浄土真宗本願寺派願正寺。
 1930年(昭和5年)2月20日没、享年89。