HG 我以外皆

我以外皆我師也
           吉川英治

有名なこの言葉にゆれがあるようです。下記の
記事で真相がわかりましょう。

草思堂から
吉川英治記念館学芸員日誌
2007年5月11日(金)
我以外皆我師也

今日は偶然にも同じ内容の問い合わせが重なりました。

「我以外皆我師也」という青葉の出典は何か?というものです。

この言葉に関するお問い合わせは頻繁にあるので、上配の問いを含め、よくお尋ねいただくことをまとめてここに書いてみます。

「我以外皆我師也」という言葉は、吉川英治の人生哲学を反映した座右の銘であり、吉川英治の造語であると思われると、前に書いたことが
あります。
 吉川英治の造語で、頻繁に揮毫し、口にもしている言葉ですので、通常の意味での〝出典〟というのはないようなものですが、この言葉が出てくる作品ということであれ
ば、「新書太閤記Jが挙げられます。
現在の全11巻の文庫(講談牡刊吉川英治歴史時代文庫)ならば、第10巻に『大坂築城』という章があります。
そこにこのような箇所があります。

  秀吉は、卑賤に生れ」逆境に育ち、特に学  問する時とか教養に暮らす年時などは持た  なかったために、常に、接する者から必ず  何か-事を学び取るということを忘れない  習性を備えていた。
  だから、彼が学んだ人は、ひとり信長ばか  りでない。どんな凡下な者でも、つまらな  そうな人間からでも、彼は、その者から、  自分より勝る何事かを見出して、そしてそ  れをわがものとして来た。
   -我れ以外みな我が師也。        と、しているのだった。

ちなみに、この言葉が「宮本武蔵」に出ているはずだ、という方がいらっしやいますが、「宮本武蔵Jでは、多少表現が違います。

   「お客」
   「はい」
   「宮本武蔵と申されたの」
   「左様でござります」
   「兵法は、誰に学ばれたか」
   「師はありませぬ。幼少から父無二斎に    ついて十手術を、後には、諸国の先輩    をみな師として訪ね、天下の山川もみ    な師と存じて遍歴しておりまする」    「よいお心がけじや。ーしかし、おん身    は強すぎる、余りに強いJ
    誉められたと思って、若い武蔵は顔の    血に恥じらいをふくんだ。

『水の巻』の『茶漬』という章での、奥蔵院の日観と武蔵の会結の場面です。
このように、「我以外皆我師」というそのままの形では出てきません。

出典と並んでよくお尋ねいただくのが、文字の問題です。

私はここまで

   我以外皆我師

と表記してきましたが、「新書太閤記」の引用文にあるように

   我以外皆我師也

とする場合もあります。
また、

   吾以外皆吾師

とする場合もあります。
もちろん、これの末尾に「也」がつくこともあります。

いずれのパターンも、本人が揮毒して書き残したものに存在します。

吉川英治本人がそうしていますので、お尋ねいただいても、どれでも正しい、としか答えられません。
その理由も見当がつきません。

そこを問われた場合は、「気分次第」とお答えしています(苦笑)

なお、多くの人が「我以外皆師也」と、二つ目が「我」をとばしてご妃憶になっているようです。
意味は通りますが、吉川英治の言葉としてご紹介になる時には、二つ目の「我」をお忘れなく。

(出典 草思堂から
    吉川英治記念館学芸員日誌)
【キーワード】 吉川英治 他に学ぶ 我師