HG 怖れている者に

 怖れている凡夫のために、
 大安を与えたまう如来まします            
         (大経取意)  
(嘆仏偈 「為作大安」 
 増支部経典 「五畏怖」…梯実円師法話 )
【キーワード】 五つのおそれ 凡夫 安らぎ       
 大安慰 智慧 戒忍 修行
        大願成就
★「凡夫とは畏怖心を去らぬものである」(梯)
★(ネット)
 仏教では畏怖心(恐れおののく心・取り越し 
苦労)というものを説きます。
①活命畏 (生活上の畏れ)
②悪名畏(人びとの間で自分の悪評が出てい
ないかという畏れ)
③怯衆畏(世間体を気にし、世間の目を常に
気にする)
④命終畏(自分の命がこれで終わるのではな
いかという畏れ)
⑤悪趣畏(死んでから先のことまで心配すること)

★増支部経典 第九集 第五節 力(ネット)
一、諸比丘よ、四力あり。何をか四と為すや。
二、慧力・精進力・無罪力・能摂力なり。
諸比丘よ、何をか慧力と為すや。
三、不善法と不善の計数に入ると、善法と善の
計数に入ると、有罪法と有罪の計数に入ると、
無罪法と無罪の計数に入ると、黒法と黒の計数
に入ると、白法と白の計数に入ると、不応習法と
不応習の計数に入ると、応習法と応習の計数に
入ると、非
至聖法と非至聖の計数に入ると、至聖法と至聖
の計数に入ると、かくの如き諸法を慧を以て善く
観察し善く伺察す。諸比丘よ、これを名づけて慧
力と為す。

諸比丘よ、何をか精進力と為すや。

四、不善法と不善の計数に入ると、有罪法と有罪
の計数に入ると、黒法と黒の計数に入ると、不応
習法と不応習の計数に入ると、非至聖法と非至聖
の計数に入ると、かくの如き諸法を断ぜんが為に
志欲を起し、精進し、勤勇を発し、心を摂し、精勤す。
善法と善の計数に入ると、無罪法と無罪の計数に
入ると、白法と白の計数に入ると、応習法と応習の
計数に入ると、至聖法と至聖の計数に入ると、かく
の如き諸法を獲得せんが為に志欲を起し、精進し、
勤勇を発し、心を摂し、精勤す。諸比丘よ、これを名
づけて精進力と為す。

諸比丘よ、何をか無罪力と為すや。

五、諸比丘よ、ここに聖弟子は無罪の身業を成就し、
無罪の語業を成就し、無罪の意業を成就す。諸比丘
よ、これを名づけて無罪力と為す。

諸比丘よ、何をか能摂力と為すや。

六、諸比丘よ、四摂事あり、(謂く)布施・愛語・利行・
同事なり。諸比丘よ、諸の布施の中の最勝なるは法
施なり。諸比丘よ、諸の愛語の中の最勝なるは、希求
して傾聴するものに再三法を説くことなり。諸比丘よ、
諸の利行の中の最勝なるは、不信者をして信を成就
せしめんが為に勧導し、入らしめ、住せしめ、破戒者を
して戒を成就せしめんが為に勧導し、入らしめ、住せし
め、慳貪者をして棄捨を成就せしめんが為に勧導し、
入らしめ、住せしめ、劣慧者をして慧を成就せしめんが
為に勧導し、入らしめ、住せしめることなり。諸比丘よ、
諸の同事の中の最勝なるは、預流者の預流者にお
ける同事、一来者の一来者のにおける同事、不還者の
不還者における同事、阿羅漢の阿羅漢における同事な
り。諸比丘よ、これを名づけて能摂力と為す。

諸比丘よ、これ、四力なり。

七、諸比丘よ、この四力を成就せる聖弟子はすでに五の
怖畏を超越す。何をか五と為すや。

八、活命怖畏・名声怖畏・集会中羞耻怖畏・命終怖畏・悪
趣怖畏なり。

諸比丘よ、かの聖弟子はかくの如く思択す―

九、我は活命怖畏を怖れず。いかんぞ活命怖畏を怖るべ
けんや。我に四力あり、(謂く)慧力・精進力・無罪力・能
摂力なり。劣慧者ならば活命怖畏を怖るべけん。懈怠者
ならば活命怖畏を怖るべけん。有罪の身業・語業・意業
あらば活命怖畏を怖るべけん。無能摂者ならば活命怖畏
を怖るべけん。

我は不名声怖畏を怖れず。(いかんぞ不名声怖畏を怖る
べけんや。我に四力あり、(謂く)慧力・精進力・無罪力・
能摂力なり。劣慧者ならば不名声怖畏を怖るべけん。懈
怠者ならば不名声怖畏を怖るべけん。有罪の身業・語業・
意業あらば不名声怖畏を怖るべけん。無能摂者ならば不
名声怖畏を怖るべけん。)

我は集会中羞耻怖畏を怖れず。(いかんぞ集会中羞耻怖
を怖るべけんや。我に四力あり、(謂く)慧力・精進力・無
罪力・能摂力なり。劣慧者ならば集会中羞耻怖畏を怖る
べけん。懈怠者ならば集会中羞耻怖畏を怖るべけん。有
罪の身業・語業・意業あらば集会中羞耻怖畏を怖るべけ
ん。無能摂者ならば集会中羞耻怖畏を怖るべけん。)

我は悪趣怖畏を怖れず。いかんぞ悪趣怖畏を怖るべけん
や。我に四力あり、(謂く)慧力・精進力・無罪力・能摂力
なり。劣慧者ならば悪趣怖畏を怖るべけん。懈怠者ならば
悪趣怖畏を怖るべけん。有罪の身業・語業・意業あらば悪
趣怖畏を怖るべけん。無能摂者ならば悪趣怖畏を怖るべ
けん。

諸比丘よ、この四力を成就せる聖弟子はかくの如くすで
に五の怖畏を超越す。

◎「布施調意 戒忍精進 如是三昧 智慧為上
  吾誓得仏 普行此願 一切恐懼 為作大安」
 (布施・調意・戒・忍・精進、かくのごとき  の三昧、智
慧上(すぐれたり)とせん。
  われ誓ふ。仏を得たらんに、あまねくこの  願を行じ
て、一切の恐懼(の衆生)に、た  めに大安をなさん。)
(無量寿経 嘆仏偈)
  《布施と調意(心を制御しととのえること)   と持戒と
忍辱(耐え忍ぶこと)と精進。
   このような禅定と智慧を修めて、この上な   くすぐ
れたものとしよう。
    わたしは誓う、仏になるときは、必ずこ   の願を
果たしとげ、生死の苦におののくす   べての人々に大
きな安らぎを与えよう。 》
  (同 現代語訳)

【考察】嘆仏偈の「布施調意 戒忍精進 如是  三昧 
智慧為上」は、 増支部経典 第九集  第五節 力の
「四力」(慧力・精進力・無罪  力・能摂力)に相当し
ている。その「三昧
  智慧」を成就された仏であればこそ、「 一  切恐懼
 為作大安」(衆生の「五怖畏を超越」  せしめる)の力
を発揮されるのである。
   念仏にはかかる如来の願力・忍力が篭もっておれ
ばこそ、畏怖の去らぬ凡夫衆生に
  大安を与えてくださるのである。まさに「大  願業力
の成就」あればこその「大安」であ  ることを銘記し、仏
恩報謝の称名をせずに  はおれない。