HG 念仏の身

念仏の身とならないで
本願がわかるはずはない
               
(出典 寺川俊昭 『ともしび』六一九)
【キーワード】 本願 念仏 念仏の実践 

参考 
 憶念弥陀仏本願・・・心に本願を頂く=信
 唯能常称如来号・・・身に本願を頂く=行
とも云えるが、浄土文類聚鈔には
 如来本願顕称名(如来の本願、称名に顕す)
とある。本願がこの身に徹到したとき(心の随ま
で、悪人のわれを救わんという如来の大悲が
ありがたくいただけたとき)称名となって本願が
顕れてくださるという意味であろう。
 また
 「弥陀の尊号となへつつ 信楽まことにうる
ひとは 憶念の心つねにして 仏恩報ずるおも
ひあり」である。
 如来の尊号を称えるのは一回きりではない。
本願の尊さを憶えば、何度となく称名する。その
称名のたびに、本願の尊さがまた偲ばれる、また
称名である。
 「み仏を よぶわが声は み仏の われをよび  
ます み声なりけり」(甲斐和里子『草かご』)
である。
 こうしてお念仏を喜ぶ身にならなくて、どうしてご
本願の尊さがわかったといえようか、
これが寺川師の真意であろう。(KF)