HG 聞いとけよ

聞いとけよ、聞いとけよ
そのうち聞いたことが
ほんまになるでなぁ 
源左(取意)
(出典 源左 )
【キーワード】 聞法 元気な時に 一大事

注 上記のことばは鳥取県の源左さんの言葉遣いとは違うという忠告をうけた。
  調べてみたら、以下の経緯でそうなったものである。

①「・・・そんな意味のない浅い人生を送るのではなくて、泣いたが夢にこそ出会うことのできた真実の目を開き、人生の深さに驚きを立てることの大切さであります。
   ご承知の因幡の源左さんは、ここのところを実にうまいことばで表現をしてくださっております。」源左さんはいつもこう申されたそうであります。
 「聞いとけよ、聞いとけよ、その中に聞いたことがほんまになるでな」
  これをむつかしく申しますと、事実のままが真実につつまれきっていることに目を開くこと。言葉をかえますなら、事実を通して真実に出会うこと。事実の中に真実をかみしめる。そこにこそ聞法があるのだと、私は味わっております。」
  雑賀正晃師法話テープ「温もりの輪がひろがる」(市原栄光堂)(一 の中ほど)

②   一四七 鬼と仏
  源左、「御法義を聞かして貰らやあ、たった一つ変わることがあるがやあ。世界中 のことが皆本当になっだいなあ。人さんが、「源左は鬼のやあなで」っていはれりや、 そりや本当だけれ、地獄の出店の子だけのう。又人さんが、「源左は活仏さんのやあ
 なで」って云はれりや、それも本当だし。今に仏にして貰ふだけのう」。
          棚田松蔵述。        ー柳宗悦・衣笠一省編 「妙好人 因幡の源左」(百華苑刊)七九頁

   ①で雑賀師がいわれていることは、②の源左さんの前半の言葉を(関西弁で)味われたものと思われます。したがって、
  「聞いとけよ、聞いとけよ、その中に聞いたことがほんまになるでな」
も、源左さんの心であると受け止められましょう。
  厳密には
「聞いとけよ、聞いとけよ、その中に聞いたことがほんまになるでな
               源左 取意」
とすべきです。