HG  一人あそび (安心)

子どもは 
 だれかと
 いっしょに
  いるとき
一人になれる
  (D・W・ウィニコット)

砂浜などで小さいお子さんが一人夢中にな って
遊んでいるような時、よく見ると近くで お母さんか
だれかがちゃんと見守っている。 だから、子ども
さんは安心して一人になって いられるのだ、と英
国の精神科医ウィニコッ ト先生が言っています。
つまり護られ、支え られているという基盤の上で
独立できるとい うことでしょう。
  親鸞聖人は「心を弘誓(ぐぜい)の仏(ぶつ)地(じ)
に樹(た)つ」とい われていますが、我々人間凡夫
が本当に安心
して、それぞれの営みに励(いそし)み、生涯を尽く
す ことができるのは、「如来は常にそなたを見 て
いるぞ、何がおきても如来をよりたのみ、 よりかか
れよ、かならずすくう」という大き く弘(ひろ)い誓願
の大地にたっているからです。 
時々振り返って確かめましょう。見守って おられる
お方をー「ナムアミダブツ」と。 
(出典 浄厳 「23年8月号 掲示法語)
【キーワード】 子ども  一人遊び
       親の存在 安心 独立

参考 HY 泣き方 (慈悲母)
 
資料
    ドナルド・ウィニコット(Donald Woods Winnicott、
1896年4月7日-1971年1月28日)は、イギリスの小児
科医、精神科医、精神分析家。イングランドのデヴォン
州プリマスの中流階級のメソジストの信仰を持つ家庭
に生まれる。両親は、サー・フレデリック(商人)とエリザ
ベスマーサ・(ウッド)・ウィニコット。1923年アリス・テー
ラーと結婚したが、1951年に離婚。1951年に精神科ソー
シャルワーカーで精神分析家のエルシー・クララ・ニモ
(愛称"クララ")・ブリテンと再婚した。

子供時代をプリマスで過ごしたウィニコットは、著名で影
響力の大きな精神分析家としては、波風立たない子供
時代を過ごした数少ない人物の1人である。医師になる
ことを決心した後、彼はケンブリッジ大学で学ぶ傍ら、
ジーザスカレッジのリーズスクールで医学を学び始める。
第二次世界大戦の間は、イギリスの駆逐艦に見習い
軍医として勤務、これが彼にとっては学業の中休みと
なった。彼は医学部の課程を1920年に終え、1923年、
アリス・テーラーと最初の結婚をした同じ年、ロンドンの
パディントン子供病院に内科医としてのポストを得て、
ここで彼は40年間小児科医、そして小児精神科医とし
て勤務する。

ウィニコットは、たちまちアンナ・フロイトの後継者が、
ジークムント・フロイトの慎の知的遺産に相続者と呼ば
れる資格を巡ってメラニー・クラインら論争を重ねる中で
めきめきと頭角を現していった。第二次世界大戦の終
わり頃、精神療法の分野で3グループ前後の親密な
グループが形成されてきた。フロイト派、クライン派、そ
してウィニコットが属した中間派である。

彼の経歴の中には、クラインやアンナ・フロイトに留ま
らず、ジェームズ・ストレイチー、R・D・レインのようなブ
ルームズベリー・グループのメンバーやパキスタンから
の亡命者で非常に論議を喚び起こした精神分析家マ
サド・カーンのような数多くの著名な人物が含まれて
いる。

ウィニコットは、精神的に障害を持った子供やその母
親を診る中で得た経験を元に、その後非常に大きな
影響を与えた概念のいくつかを考え出してきた。たと
えば、精神療法にとって決定的なものとなった「支持
的な環境」(holding environment)、「移行対象」
(transitional object)、それから母親ならほとんど誰で
も知っているのではないかと思われるほどになった「安
心感を与える毛布」(security blanket)などがそれであ
る。彼は対象関係理論にも大きな影響を及ぼし、特に
1951年のエッセイ「移行対象と移行現象」では、子供
がストレスの掛かった中で不安を免れるために拠り所
とする馴染みの大切にしている対象に焦点を当てて
議論している。