HG 日暮れて

 日暮れて飛ぶ鳥還る
           詠人不知

秋田市淨弘寺さんの大広間で法要の出勤
を待っている間、「日暮飛鳥還」と大書して
あるこの扁額を眺めていましたが、最初は
その揮毫ぶりに感心していました。 しかし、
読経後戻ってきたとき、何でもないありきた
りのその言葉がどうしてお寺の座敷にかかっ
ているのだろうかと、妙に気になりだしました。
 そして、一字ずつ抑えていってみて、最後の
「還」にきたとき、思わずうなりました。もしこの
一字がなかったとしたら? …それがキーワー
ドだったのでした。
 これは、鳥のことを言っているのではない。私
自身のことではないか。〝人生好調のときは
「飛んでいる」のであろうが、やがて日暮れは必
ずくる。そのとき「還」の一字、還るべきところが
定まっていなかったらどうなるのだ?〟と、その
額は問いかけているのでした。
 「旅がたのしいのは帰る家があるからだ」とも聞
きます。我々は大いなるいのちに只今生かされて
おり、やがて大いなるいのちの世界に還えらせて
いただけるのだと安心できたとき、飛んでいる今日
一日が輝いてくるのでありましょう。  
        
(出典  藤枝宏壽『仏法のしずく』(永田文昌
     堂)より)
【キーワード】 人生 活動 帰還 安らぎ
       浄土 

【参照】IN 帰る家あり
【出拠】http://www5a.biglobe.ne.jp/~shici/shi2/rs140.htm

      臨高臺送黎拾遺
              
                  王維 

相送臨高臺,
川原杳何極。
日暮飛鳥還,
行人去不息。


******

高臺に 臨みて 黎拾遺を 送る       
相ひ 送りて  高臺(かうたい)に 臨めば,
川原
(せんげん)  杳(えう)として 何ぞ 極(きは)まらん。
日暮
(にちぼ)  飛鳥(ひてう) 還(かへ)り,
行人
(かうじん)  去りて 息(や)まず。

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◎ 私感註釈

※王維:盛唐の詩人。701年(長安元年)?~761年(上元二年)。字は摩詰。太原祁県(現・山西省祁県東南)の人。進士となり、右拾遺…尚書右丞等を歴任。晩年は仏教に傾倒した。

※臨高臺送黎拾遺:高台にて、(来客の)黎拾遺を見送る。 *『臨高臺』は楽府題・鼓吹曲辞だが、これは絶句。『臨高臺』では、沈期に「高臺臨廣陌,車馬紛相續。回首思舊鄕,雲山亂心曲。遠望河流緩,周看原野綠。向夕林鳥還,憂來飛景促。」がある。王維のこの作品は、その影響を受けていようか。 ・臨:登臨する。 ・高臺:〔かうたい(かうだい);gao1tai2○○〕高くて平坦な土地。高台(たかだい)。また、たかどの。王維の作品群から判断すると、見送って、野外に行き、野外の「たかだい」で猶も見送っていると見るのが妥当だが、安定期の詩人では、餞別の宴を張る「たかどの」と解するのも可(沈期の『臨高臺』での用法)。 ・黎拾遺:「黎」は姓。「拾遺」は官職名。王維は『
拾遺裴秀才迪見過秋夜對雨之』という五律を作っている。黎昕のこと。裴迪、岑參らと同時代人になる。

※相送臨高臺:見送って、高台に臨めば。 ・相送:(…を)見送る。

※川原杳何極:平野は、遥かに窮まりなく続いている。 ・川原:〔せんげん;chuan1yuan2○○〕平原。平野。必ずしも川が流れているところとは限らない。平川広野。また、(川が流れている)平原。川は、詞では、平原、曠野の意で、取り立てて川を指さない。また、川のみなもと。川源。普通は前者の意「平原」と解し、それで妥当だが、王維は、川の水源を描写したもの「行到
水窮處,坐看雲起時。」、「落日山水好,漾舟信歸風。玩寄不覺遠,因以縁源窮。」を幾つか遺しているので、多少は気になる。杜甫『秦州雜詩二十首』其三「鼓角縁邊郡,川原欲夜時。秋聽殷地發,風散入雲悲。抱葉寒蝉靜,歸來獨鳥遲。萬方聲一概,吾道竟何之。」 や、南宋・張孝祥の『六州歌頭』「長淮望斷,關塞莽然平。征塵暗,霜風勁,悄邊聲。黯銷凝。追想當年事,殆天數,非人力。洙泗上,絃歌地,亦羶腥。隔水氈鄕,落日牛羊下,區脱縱橫。看名王宵獵,騎火一川,笳鼓悲鳴,遣人驚。」、賀鋳の『青玉案(凌波不過横塘路)』の「若問閑情都幾許?一川煙草,滿城風絮,梅子黄時雨」(一川煙草:一面に茂れる草)や呂本中の『滿江紅』東里先生の「東里先生,家何在、山陰溪曲。一川平野,數間茅屋」などがある。「かわら」ではない。沈期の『臨高臺』では「遠望河流緩,周看原野綠。」 に該ろうか。 ・杳:〔えう;yao3●〕(日の出前や日没後の)暗い。深い。奥深い。遥か。『古詩十九首之十三』「驅車上東門,遙望郭北墓。白楊何蕭蕭,松柏夾廣路。下有陳死人,杳杳即長暮。」、李白に『山中問答』「問余何意棲碧山,笑而不答心自閑。桃花流水杳然,別有天地非人間。」、寇準の『江南春』「杳杳煙波隔千里,白蘋香散東風起。日落汀洲一望時,柔情不斷如春水。」 がある。 ・何極:どうしてきわまろうか。『詩經』唐風の「鴇羽」の二段め「肅肅鴇翼,集于苞棘。王事靡,不能藝黍稷,父母何食。悠悠蒼天,其有。」にある。

※日暮飛鳥還:夕暮れ時に、空を翔る鳥は(ねぐらに)戻ってゆく(が)。 ・日暮:〔にちぼ;ri4mu4●●〕夕暮れ時。日暮れ。 ・飛鳥:空を翔る鳥。東晋の陶潜に『飮酒二十首』其五「結廬在人境,而無車馬喧。問君何能爾,心遠地自偏。采菊東籬下,悠然見南山。山氣日夕佳,
飛鳥相與還。此中有眞意,欲辨已忘言。」、『擬古九首』其四「迢迢百尺樓,分明望四荒。暮作歸雲宅,朝爲飛鳥。山河滿目中,平原獨茫茫。古時功名士,慷慨爭此場。一旦百歳後,相與還北。松柏爲人伐,高墳互低昂。頽基無遺主,遊魂在何方。榮華誠足貴,亦復可憐傷。」がある。 ・還:かえる。もどる。Uターンする。ここでは鳥がねぐらの巣に戻ってゆくありさまをいう。

※行人去不息:(空を飛ぶ鳥は、ねぐらに戻ってゆくのに対して、作者を訪れた人は)ひたすら去って離れてゆく。 ・行人:旅人。人生の旅人。道を行く人。また、出征兵士。ここは前者の意で、黎拾遺のことを指す。前者の意では、宋・陸游の『浪淘沙』丹陽浮玉亭席上作「綠樹暗長亭。幾把離尊。陽關常恨不堪聞。何況今朝秋色裏,身是
行人。」、後者の意では漢・李陵の『與蘇武詩』其二「嘉會難再遇,三載爲千秋。臨河濯長纓,念子悵悠悠。遠望悲風至,對酒不能酬。行人懷往路,何以慰我愁。獨有盈觴酒,與子結綢繆。」等がある。 ・去不息:ひたすら去ってゆく。 ・去:さる。さりゆく。ゆく。作者から離れていくありさまをいう。 ・不息:やむことがない。